千年女王
西の帝国の軍勢が迫り王国が滅亡の危機に瀕したその夜、王の枕元に悪魔が立ち囁く。
――いかなる災いをも阻む絶対の守護を。
誘言に惑わされる愚王ではない。王は問うた。
――代償は。
――貴殿の娘を貰い受ける、哀れな姫が十五になったその晩に。
王は決意した。悪魔は知らぬのだ。生来病弱だった王女が治療の甲斐なく一月前に世を去った事を。王の子は姫の弟である王子のみ。
悪魔は契約を得た。
宰相は戦慄した。世継を希求する王を慮り王子として育てられていた子は真実王女だったのだ。
国中から法師術師を呼び集め策を乞う宰相に一人の老師が告げた。
――新月は時の濁る夜なれば、如月は朔に生まれし姫は時の魔力を繰りましょう。
師の言葉通り王女は類稀なる才を魅せ、齢十五を迎えようとする暁には時換の法を修めるに至る。
儀式が行われた。王女は再び十四へ還り、誕生の日付を正しく一年異にする侍女は十四を経ずに十五となった。
永い環の始まりだった。
五百年が過ぎた。
帝国は既に滅び跡に幾つもの王朝が興っては消えゆくその間、王国はただひたすらに凪いでいた。悪魔の守護ゆえ外敵を寄せ付けず、半千年紀に及ぶ為政のうち女王が比類なき賢政を学んだがゆえにかの国は不滅だった。
氷風に民草が身を潜めていた或る冬、一人の旅人が王国を訪れる。遥か東国より辿り着いた賢者である。
王城の戸を叩いた稀客に女王は問うた。
――時の環を断ち切る術やある。
対面する者へ例外なく投げ掛けてきた問い、それはしかし実に百余年ぶりの余韻だった。
――是。
賢者は答え、しかし容易には真理を明かさなかった。
――王において永遠とは見果てぬ夢、国において安寧とは得がたき宝。定められし道を失えば民は惑い血の流れるは必定。貴国は既に永遠と安寧を享受し繁栄を謳歌しているにも拘らず、聡き王は破壊を望むのか。
――是。
女王は宣う。
――史とは手から手へと伝え綴られるもの、国とは網の目の如き大河の流れ。王は船頭であって水神ではない。混迷と流血の後に民は識るだろう、人が命を紡ぐその意味を、時を織り上げるその意味を。
賢者は頷き、先導者たる女に解を与えた。
――呪いとは正しく言葉の契り、悪魔といえども定めを覆すことはできぬ。契約は一字一句違わず履行されねばならぬ。
儀式が行われた。齢十六を迎えようとしていた街娘は王の時を得て十五へ還り、女王は十五を経ずに十六へ至った。
小さな王国は、再び小さな歴史を歩み始めたのである。
1000字(空白除く)
窓拭き魔、現る
――《スカイタウン》には黄色の窓拭き魔が出る。
そんな噂がその新興住宅街と隣接する商店街《青空通り》一帯に広まったのは、そよ風に葉桜の揺れる四月半ばのことだった。
曰く――田中さんが留守の間に宅へ忍び込んで、氏の自慢の大きなガラス窓を拭いていた。
目撃例がこの一件だけなら、窓を拭くために田中氏が人を雇ったのだと言えば済むだろう。しかし、
「鈴木さんとこにも黄色の男が出たらしいぞ」
「ウチにも来たわ。誰にも頼んでないのに」
証言を総合するに、件の男は一人ではないらしい。黄色の繋ぎを着用した髭面中年男の二人組。一方は恰幅が良く、もう一方は痩せ。そう、世界的に有名な配管工兄弟の配色を変えれば彼らになる。
神出鬼没な様子から当初は「幽霊では」と疑われた二人だが、実在の人物である証拠に彼らの仕事ぶりは完璧だった。彼らの仕上げた窓ガラスは水晶の輝きを魅せる。
数日を経て彼らの《作品》の数が二桁に達する頃には、界隈で二人を知らない者はなくなった。黄色兄弟の所業は、いまや窓拭きだけに限られなかった。
「雨漏りしとった屋根がすっかり元通りになったわい、ふぉ、ふぉ」
「いやぁ、自転車のチェーン、油が切れてたんだけど……」
「荒れ放題だった児童公園の花壇、さっき行ってみたら素敵なお花畑になってたのよぅ」
「おぉ、私の髪が、私の髪が……」
「別居していた妻が戻ってきてくれたんです!」
喜びの声が上がる一方、二人の正体が分からないためか不安に思う住人も出てくる。
「田中さんの窓と佐々木さんの屋根の件は不法侵入じゃないですか」
「いくら掃除だからって、他人の持ち物を勝手に触ったら器物損壊になるんじゃないのか」
「泥棒に入る家の下見をしてるんじゃないかしら」
しかし、大勢の見方は兄弟に好意的だった。
「器物損壊なものか。こんなに綺麗にしてもらって、いったい何の文句があるっていうんだ」
「んー、泥棒といっても……あの黄色装束じゃ目立ってしょうがないでしょ。体格にも特徴あるから服を替えてもバレるだろうし」
「ふぉ、ふぉ、ワシの家に盗られて困るもんなどないわい」
《青空通り》の片隅に真新しい黄色の看板が出現したのは、それからさらに一週間を経た月曜日のことだ。
掃除・修理なら何でも承ります イエロー・ブラザーズ
いまや東証一部に上場を果たし、全国800余店舗を展開するブラザーズ・チェーン。記念すべきその一号店の開業であった。
1000字(空白含む)
嘘を吐いているのは誰だ
後味の悪い事件だった。
嬰児誘拐。
昼過ぎから降り出した霧雨。ショッピングセンターの入口で、母親が折り畳み傘に手間取っている僅か数分の間に、ベビーカーに乗せられていたはずの娘が消えた。まだ首も座らぬ2ヶ月の乳児だった。4時間後、父親の職場に身代金2億円を要求する電話が入った。
状況から店頭で着ぐるみのアルバイトをしていた男――以前、被害者の父親の同僚だったことがあり、母親とも面識があった――が犯人だと断定されたが、事件発生から18時間後、県警に身柄を確保されたとき男の手元に娘はおらず、また共犯者の痕跡もなかった。誘拐の直後、娘をバラバラにして複数のゴミ集積場に捨てたと男は証言した。身代金が要求されたとき既に娘は殺されていたのだ。そして、犯人が逮捕された時点で遺体のすべてはゴミ焼却場の炉の中に消えていた。
「奥さんの取り乱し様なんて、気の毒すぎて見てられませんでしたよ」
実際、新米刑事である川本にはショックの強い事件だった。何の躊躇いもなく乳児の身体を破壊できる人間がいるということがどうしても信じられない。
「近頃じゃこういう事件も珍しくない。慣れるしかないぞ」
ベテランである山口の表情も固い。被害者は殺され、遺体さえ戻らない。考え得る限り最悪の結末だった。しかし――
「被害者が生きてる!?」
男が証言を翻したのだ。警察を挑発するために殺害を仄めかしたが、実際には誘拐の直後、隣県の病院へ車を走らせ被害者を赤ちゃんポストに捨てたのだ、と。病院に照会すると、確かにその時刻に預けられた乳児を保護しているとのことだった。母親は狂喜した。署内に安堵が広がる。
「ポスト?」
「ああ、事情があって育てることの出来ない乳児の受け皿としてK県の病院が設置したものだ。賛否両論あるが、今回ばかりは被害者を救う役目を果たしたわけだな」
誘拐事件の場合、逃げるにしろ隠れるにしろ被害者を連れたままでは犯人の行動は著しく制限される。だから、追い詰められた犯人は被害者を殺してしまうことも多いのだ。今回の事件では、匿名で安全に乳児を遺棄できる仕組みが犯人を身軽にするために上手く利用されてしまったのである。
「しかし、だ」
山口は川本を会議室の隅に引き込んで、そっと耳打ちした。
「母親は娘が戻った喜びに涙を流して喜んでるんだがな。父親は首を傾げてるわけだ――これは我が子じゃない、と。さあ、嘘を吐いているのは誰だ?」
(1000字・空白含む)
第1期EEEプロジェクト中間報告
概要:
本計画はITとの融合により初等教育現場に新たなパラダイムを導入するものである。
目的:
近年深刻化の一途を辿る学力低下・授業崩壊の工学的な解決を目指す。
方法:
児童コミュニティ内で現在人気を博している市販ゲームソフト【資料1】の手法を応用した携帯システム『ポケットしょうがっこう』を開発・運用する。すなわち:
イ)進捗センサーにより計測された学習の進捗状況に基づき仮想空間(バーチャルスクール)内のキャラクターが成長する。
ロ)成長したキャラクターは専用ブロードバンド・ネットワークを介した通信対戦により他の児童のキャラクターと競わせる事ができる。
ハ)また、キャラクターを交換(トレード)あるいは譲渡(イールド)する事ができる。
但し、PTAより競争心を煽るとの指摘を受け、以下の機能を割愛した:
ニ)対戦結果は専用サーバーに蓄積され、1ヶ月毎に全国ランキングを公表する。
実施例(1)――算数:
最新の文字認識・算術解析エンジンを用いて計算ドリルの進行数および正答率を評価、その積をキャラクターの経験値とする。なお、ロジック型のキャラクターは通常の倍の経験値を得ることができる。また、当該ドリルを最速で完了した児童には早解きボーナスとして100ポイントの経験値を与える。試験運用の結果、児童の計算力が5%〜35%向上した。
実施例(2)――理科:
最新の映像認識・美術解析エンジンを用いて鉢植え朝顔の成長率および開花構図を評価、その積をキャラクターの経験値とする。なお、プラント型のキャラクターは通常の倍の経験値を得ることができる。また、当該朝顔を最速で開花させた児童には早咲きボーナスとして100ポイントの経験値を与える。試験運用の結果、朝顔の開花率が25%〜30%向上した。
実施例(3)――道徳:
最新の行動認識・非行解析エンジンを用いて対象児童の生活態度および善行率を評価、その積をキャラクターの経験値とする。なお、イイヒト型のキャラクターは通常の倍の経験値を得ることができる。また、当該期日に最速で起床した児童には早起きボーナスとして100ポイントの経験値を与える。試験運用の結果、有害番組の視聴率が55%〜70%減少した。
――結局、このプロジェクトの最終報告が世に現れることはなかった。
「おい、知ってるか? ポケショーのカセット、半差しにするとバグってレベル255になるらしいぜ」
「マジかよ、最強じゃん!?」
(1000字・空白除く)
対決
「なるほど、ジョージ。君はこう主張するわけだ。ダーウィニズムでは現存する生態系の複雑性を説明できない、と」
「そうだ、ケリー。古くは6億年前のカンブリア爆発から4万年前の新人誕生に至るまで、ランダムネスに基づく自然淘汰だけでは到底説明できない。そこには大いなる意志がある」
「で、アダムとイブか……聖書主義者め」
「違う。知的計画(ID)論は神学ではない。実験と観察に基づく科学だ。進化論は誤っている。世界のあり様がまさにそれを証明しているというのに、古臭い学者たちはなぜ認めようとしない!?」
「ジョージ、君は2つの間違いを犯している。まず、君のID論は科学ではない。なぜなら、科学であるための条件を欠いているからだ」
「……ど、どういうことだ!?」
「君は実験と観察を基点とする帰納的手続きを科学だと考えているようだが、それは違う。科学に必要なのは、ただひとつ――反証可能性だ。君の唱える『大いなる意志』はいかなる現象をもってしても反駁できない。したがって科学ではない」
「反証できないのは当然だ。それが真実なのだから」
「実際に否定されるかどうかではない。可能性の問題なのだ。進化論はアダムとイブの痕跡が発見されれば科学的に否定される。だが、ID論にはそういった余地がない」
「詭弁だ! 論破を恐れて前提を変える……それが科学者のやり口なのだ」
「そう、それこそが2つ目の誤りなのだ、ジョージ。科学は元来『HOW(どのように)』を追求する学問だ。それは決して『WHY(なぜ)』に言及しない。つまり、そもそも進化論とID論は対立などしていないのだよ」
「恥知らずめ、今度は懐柔か」
「分からないかね、カンブリア紀に突如として発生した複雑性、それが『意志』である可能性を科学は決して排除しない。言葉の定義の問題でしかないのだ。したがって、科学はそれに関わらない」
「黙れ、傲慢な屁理屈野郎!!」
「愚かな……神学、哲学、史学としてなら価値のある論理を君は持っているのに! むざむざそれを科学になど!」
――パン!
二人は同時に引き鉄を引いた。
冷たい床に倒れ込み、ケリーは考えた。
(ああ、高速に回転する鋼鉄の弾丸が私の胸部を貫通した。血流は止まらない。遠からず私は生命活動を終えるだろう)
灰色の壁に背を預け、ジョージは考えた。
(なぜ私は死ななければならないのか。それはそこの馬鹿野郎が引き鉄を引いたからだ。私を憎み、殺そうとしたからだ)
(1000字・空白除く)
世界で、あなただけを
ふひぬる るふゆ つひ やちし らふむぬさ にしひなつ
私の携帯に奇妙なメールが届いたのは、木曜日の夜だった。件名は「下を見ろ」―なのに、指示どおりメールの続きを読もうとしても、文面は「にしひなつ」で終わっている。
(にしひ…西日、夏?)
下を見ろ、というのはメールの下の方を読めという意味じゃないんだろうか。
今の私を誰かが見たら、ただの悪戯メールじゃないか、なぜすぐに捨てないんだ、と呆れるかもしれない。でも、これは絶対に悪戯なんかじゃない。私は読まなくてはいけないのだ。読みたいのだ。読まなかったら一生後悔するに決まってる。だって、このメールは―
「暗号ね」
画面を一瞥するなり、A子は断言した。一晩考えても分からなかったから、意を決して相談してみたのだ。A子とは特別に親しいわけじゃないけど、彼女は頭が良いのでこういうときに頼りになる。それに、親友たちにはまだこのことを知られたくない。
「暗号なのは私にだって分かる。ただ、解き方が―」
「分からないんだ?」
カラカラと笑うA子。私が困っていると、彼女は急に話題を変えて、
「ねぇ、あんた、キザな台詞を吐く男は好き?」
「え?」
少し戸惑いながら、私は辛うじて「相手による」と答えた。もちろん、頭に浮かんでいたのは一人の男性の顔だ。
「なるほど。じゃ、素直にヒントに従いなさい…下を見ろ」
「何も書いてない」
「下を読めじゃなくて、下を見ろ。あんたは初めから解読表を持ってるのよ」
A子は席を立ってしまった。去り際にこう言い残して―
「にしひなつ=ケンジさんによろしくね」
え?
なぜA子が健司さんのことを知ってるんだろう。差出人の名前は、私が登録したとおり「石田さん」になってるのに。
そこまで考えて、私はようやく答えに気付いた。メールの「下」には1〜#まで12のキーが並んでいる。5を2回押すと「に」になり、また「K」にもなるキーが。
ふひぬる=ONLY…
(800字・空白含む)
感染
久々に徒歩で出社してみると、後輩の澤上が挨拶してきた。
「クラムボンは笑ったよ」
私が「え?」と聞き返すと、相手は嬉しげに――かぷかぷ笑っている。彼は笑うとえくぼがくっきりと凹む愛嬌のある丸顔だった。それを私は初めて知った。
「何を言ってる?」
「知らない」
手に負えない。澤上は心を病んでしまったのだろうか。まさか、私が何かストレスを……?
困り果てた私に、課長は笑って、
「五月病だよ。放っておけば、じきに治る」
否、五月病のはずはない。こんな症状など聞いたこともない。澤上がなぜ横向きにしか進めないのか全く分からない。
「君は異動してきたばかりだったね。ここらじゃ五月病っていうとコレなんだ……ま、賢治に縁のある土地柄かな」
澤上の病気はしばらく続き、日がな一日かぷかぷ笑ったり跳ねて笑ったりしていたが、やがて変化が訪れた。雨曇りのある朝だった。
「クラムボンは死んだよ」
土気色の面持ちで、厳かに告げる。
「殺されたよ」
穏やかではない。
「殺された?」
「分からない」
全く手に負えない。澤上の意図がさっぱり分からない。彼がなぜ横向きにしか進めないのかということも、やっぱり分からない。
困り果てた私に、課長は力強く、
「快復症状だ。明日には元に戻るぞ」
課長は正しかった。
翌朝、始業間際に出社した私を出迎えたのは「おはようございます」という至極真っ当な挨拶――見れば、仏頂面の澤上が自席にちょこんと座っている。
社内の空気は元通りになっていた。否、昨日までだって他の同僚たちは平然としていたのではなかったか。珍しい病気ではないという話は本当だったのだ。風土病というわけだ。
私が動けずにいると、やおら澤上が立ち上がり、真っ直ぐこちらへ向かってくる。文句でもあるのかと身構えたが、何のことはない、手洗いに行くのだろう。私は部屋の出入口を塞ぐように立っていたのだ。
澤上は軽く会釈をよこすと、身体を横向きにして私とドアの隙間をすり抜け――すれ違いざまに囁いた。
「クラムボンは笑ったよ」
短い言葉。耳を満たすのは、ひんやりと冷たい残響。
私は驚いて振り返った。澤上の顔は見えない。彼は一度も振り返らず、僅かに前屈みになりながら廊下を小走りに遠ざかって行く。
背中を見送りながら、無意識のうちに私は呟いていた。
「ああ、笑った」
自分の口から発せられた言葉に驚愕したのは一瞬だった。
確かに──確かにクラムボンは笑っていたのだ。
なるほど。次は、私の番か。
(1000字・空白除く)